2010年3月12日金曜日

歌い続ける!

歌っていると日頃のいろいろな雑念がすっと消える。
音楽がなかったら、とても生きてこられなかったと思う。
歌はいつでも誠実な友達。

振り返ると、小さい子供の頃から歌うことが大好きだった。
幼稚園の頃、園歌をクラスで歌う時間が一番好きだった。
その園歌は、「やしの実」で有名な大中寅二さんが作曲されていて、子供心にも美しいメロディーでとても気に入っていた。
~おはよう おはよう オルゴールが呼んでいる~
歌を歌うと、その当時の空気や気持ちもよみがえるから不思議だ。

最近、ここインドで、インドにいて嬉しかったことBEST3に入りそうな、びっくりすることがあった。
日本の合唱が聞きたいと思い、アマゾンでCDをいくつか注文し、送ってもらった。その中の一つに、PHILIPSから出ている、三善晃編曲 関屋晋指揮  晋友会合唱団 「夕焼小焼 唱歌の四季」があり、ビブラートのない完璧にハモッた美しい合唱に聴き惚れていた。

CDのブックレットを見ていて、息が止まって脳天がしびれるほど驚いた。
合唱団のメンバーの名前がパートごとに紹介されているページ。アルトの中に、高校の同級生の名前を発見。姓、名、共に珍しい彼女の名前を見間違えるはずがない。

高校のとき合唱祭が大好きだった私たちは、熱心に取り組んでいた。
緑の藤棚が連なる中に、グリーンハウスと呼ばれる、ピアノが一台づつ置かれている3畳もない木造の小屋が点在する庭が、チャペルの横にあって、放課後のパート練習はそのグリーンハウスの引き戸を開けて、ピアノを横から囲んで外で行われた。藤棚の緑が風に揺れ、級友のセーラー服の襟に、葉影も揺れていたのを思い出す。

歌っている歌は…そう、高田三郎作曲、「心の四季」の6曲目、「雪の日に」だ。
本当に、私たちは歌い込むにつれ、この曲が大好きになっていった。
クリスチャン詩人の吉野弘の「雪の日に」という詩も素晴らしい。
歌うことで、詩の世界、詩の心が、17歳の私たちの心に刻み込まれていった。

私はソプラノパートで、彼女はアルトパートだった。
私は上京後、しばらく合唱とは遠ざかっていたけれど、彼女はすぐに合唱サークルに入り、定期演奏会の案内を送ってくれて、一度だけ聴きに出かけたことがある。
けれど、いつの間にか音信不通になり、あれから20年以上の月日が流れてしまった。
正直、不意打ちをくらった感じだった。しまった!
つまり、彼女はずーっと歌い続けていたということが分かったのだ。
このCDの録音はすでに14年前のものなのだが、こんなに合唱好きの人間が歌うことをやめるはずがない。今でも日本のどこかで歌い続けているはずだ。
こんなに励まされることがあるだろうか。

彼女の歌声を含んでいるはずの美しいハーモニー。
わたしも生きている限りずっと歌い続けようと思う。


(今日のブログは懐かしいこの詩を載せておしまいにします^^)

「雪の日に」

雪がはげしく ふりつづける
雪の白さを こらえながら

欺きやすい 雪の白さ
誰もが信じる 雪の白さ
信じられている雪は せつない

どこに 純白な心など あろう
どこに 汚れぬ雪など あろう

雪がはげしく ふりつづける
うわべの白さで 輝きながら
うわべの白さを こらえながら
雪は 汚れぬものとして
いつまでも白いものとして
空の高みに生まれたのだ
その悲しみをどうふらそう

雪はひとたび ふりはじめると
あとからあとから ふりつづく
雪の汚れを かくすため

純白を 花びらのように かさねていって
あとからあとから かさねていって
雪の汚れを かくすのだ

雪がはげしく ふりつづける
雪はおのれを どうしたら
欺かないで生きられるだろう
それが もはや
みずからの手に負えなくなってしまったかのように
雪ははげしく ふりつづける
 
雪の上に 雪が
その上から 雪が
たとえようのない 重さで
音もなく かさなってゆく
かさねられてゆく
かさなってゆく かさねられてゆく

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